2013年10月 7日 (月)

ロシア3気筒

1

http://ru.wikipedia.org/wiki/%D0%9F%D0%B0%D1%80%D0%BE%D0%B2%D0%BE%D0%B7_%D0%9C
上はウィキペディアに依る、
ロシアの3気筒機関車、M型、4-8-0の説明です。
以下ロシア語を機械翻訳等で解読して見ます。翻訳の間違いもあるだろうし、意味が解らない部分や飛ばした部分もありますが、
大雑把に次のような事が書いてるようです。
機関車の車軸配列はロシア式(2C1即ち4-6-2を、「2-3-1」と表記する方式)です。また私の注釈は【  】で示しました。

1、本機が出現するまで
国内戦【1917年から1922年】の終了とともに、鉄道に於いては粘着重量に見合う馬力の向上しか許さなかった。
当時増大する旅客需要を満たすために重い長大列車を引く旅客用機が求められた。
重量と速度の向上のためである。
当時存在した最高馬力の機関車はC型
【1-3-1、http://ru.wikipedia.org/wiki/%D0%9F%D0%B0%D1%80%D0%BE%D0%B2%D0%BE%D0%B7_%D0%A1】で
急行用に設計されたものであるが、軽量旅客用だった。

旅客需要増大に対処するため、2つの方法が考えられた
①コロムナ工場はC型、1-3-1に大型ボイラを載せる改造をする事で、そこそこの能力向上を狙った。
②プチロフ工場はより根本的解決として、3気筒新設計機を立案した。それは車軸配置2-4-0の、困難で高価な機関車だった。

1923年ペトログラードの《赤化プチロフ》工場でラエフスキー技師の指導の元、、3気筒2-4-0機が以下に立案された。
動輪1700mmφ、気筒575mmφ×行程700mm、
缶の蒸発面積253㎡、過熱面積90㎡、缶圧13kg/㎠、粘着重量(竣工時)72t。

Б型、Л型、Y型(2-3-0)、ѣ型(0-5-0)を作った経験から、ラエフスキーは今度の機関車を独創的な物になると考えた。
燃焼室付の缶【燃焼室付は実現しなかったようだ】、
サイドロッドの故障を減らすためサイドロッドピンの位相差を2気筒機と同じ90度とし、それに対して内側を120度とする【解読不能、90度-135度-135度の事か?】
等々。
1924年のラエフスキーの死後、1926年第四四半期《赤化プチロフ》工場は2-4-0機関車を完成した。
活躍中当時の規則に基づいて機関車番号はM160-01となった。

2、設計
3気筒エンジンは別にしても、多くの新機軸があった。
加減弁は煙室の過熱管の箱の上にある
【但し後述の図に依れば蒸気ドーム内にもあるようだ】
缶の後方支えには弾力がある
予熱器は混合式で《赤化プチロフ》式である

運転時の重量は99.5t、静止時重量72.5t、動輪1700mmφ、気筒540mmφ×行程700mm、
缶の蒸発面積259.6㎡、過熱面積95.6㎡、缶圧13kg/㎠、火床面積6㎡。
製造直後は制限速度70km/hだったが、その後90km/hに引き上げられた。

3、形式Mp
運転の過程で欠点が判明した。
たびたびの空転、原因は出力と粘着重量の不釣り合いだ。
タイヤの早目の局部摩耗、原因は内側気筒の傾斜の大き過ぎ。
不安定な横揺れと、缶が台枠を衝撃的に打つ事。
内側気筒の部品の損傷と「連絡棒【主連棒の事?】」の故障
灰受けの寸法と缶容積の不足、原因は動輪上に火室を置いたため。

高速走行中、蒸発面積が大きいにも拘わらず、蒸気供給不足があった。
運転手は不利なカットオフと加減弁操作を強いられた。
これらに依りM型の生産は中止され、急行ダイヤからはずされた。

1930年に科学研究所のテレニンから2気筒改造案が出た。
この案は外側2気筒はそのまま残し、缶圧を13kg/㎠から14.5kg/㎠に上げるもの。
クランク動軸は普通の動軸に変更する。
1931年にボロシグラード工場で車軸が作られ、
ボルタフス工場とボロネジュスク工場でM160-59とM160-81が改造された。
試験の結果は満足なものだった。
空転は減り、通常の運行に耐え、燃費は節約された。
これにより1934年初めからM型は総て2気筒にされ、形式名Mpになった。
「p」は「改造」の意味である。

4、歴史【運転区間の説明ほか大部分省略】
1936年からこの機関車の役割はИС型
http://ru.wikipedia.org/wiki/%D0%9F%D0%B0%D1%80%D0%BE%D0%B2%D0%BE%D0%B7_%D0%98%D0%A1に取って代わられた。
現在M型もMp型も全く保存されていない。

以上がウイキペディアから読み取れた部分です。
次に
http://scaletrainsclub.com/board/viewtopic.php?f=42&t=4617
上はM型に関するロシアの掲示板です。
この中に
http://scaletrainsclub.com/board/download/file.php?id=35419&sid=7d5f58197d3e805f8aef916a2170578e&mode=view
下のごとくM型の組立図が出てます。
26

写真と合わせてこれを見ると、
火室に燃焼室は付いてない。この図は石炭焚きだが、他に油焚きもあったらしい。
加減弁は既に注釈に書いたように、過熱管寄せの上だけでなく、蒸気ドームにもそれらしいのが認められる。
一番前にあるドームは給水浄化装置付の給水ドーム(缶の真下の底に泥抜きが見える)。
内側気筒の弁室は気筒の真上にある。
内側気筒の主連棒は第一動軸との接触を防ぐため非常に短く、クロスヘッドは第一動軸真上にある。
そのため内側気筒のピストン棒は長く、途中の第二先輪軸上に補助的なクロスヘッド+スライドバーを追加してる。
内側気筒の弁は機関車の左側第二動輪に設置した第二返りクランクを使う独立弁式(ワルシャート弁)。

本機の製造台数はウィキペディアに依れば100両です。
3気筒機の大量生産をしたドイツを別格とすれば、活躍期間が短いとは言え、一形式100両の3気筒生産は珍しいのではないでしょうか?
なおロシアの3気筒機としては、他に第二次大戦後1951年にチェコがスターリンの誕生日にプレゼントした、とか言う
スコダ製、複式3気筒2-4-1が(1台か?)ありました。↓
http://ru.wikipedia.org/wiki/%D0%9F%D0%B0%D1%80%D0%BE%D0%B2%D0%BE%D0%B7_18-01

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2013年3月 4日 (月)

ロシアの貴重な写真

ロシアの機関車サイトをウロチョロしていて、貴重な写真を2つ見つけました。

① http://www.train-photo.ru/details.php?image_id=43011
ソ連が開発した燃焼用空気加熱器付機関車。

Fdmsiromyatnikovboil_0

ランボードの下、第2動輪上から従台車付近に延びるのはその風道。
状況は性能テスト中? 1951年写真
この機関車ФД21-3128м型にといては下記
http://kotaroooo.cocolog-nifty.com/blog/2010/09/post-7862.html
ブログ↑で、一度書いてます。

② http://www.train-photo.ru/details.php?image_id=21074
写真提供者はディゼル蒸気機関車と書いてるが、
ディゼル蒸気機関車にしては缶が大き過ぎる気がする。
Imga0805
エンジンの基本はディゼルじゃなくて、対向式蒸気エンジンの、OP23-01型じゃないだろうか?
まぁ、私も自信があるわけじゃないのだが。
それにも拘わらず、貴重な写真を提示してるMaks氏には絶対に感謝しなければ。

フログ4か月以上ぶりの更新万歳! しかも他人の写真のコメントだけで!

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2012年10月31日 (水)

大宮工場とロシア

http://kotaroooo.cocolog-nifty.com/blog/2012/09/post-1b3f.html
のコメントの5番目(無名氏)に対する私のコメントがハジかれてしまってるので、
他の掲示板に書きましたが、念のため、同じ趣旨の事を
今度はブログ「記事」の形にしてここに書いておきます。

機関車の歴史資料が書物等でなく、神社の奉納額にあったのには驚きました。
御呈示の掲示板http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/otaku/12973/1345363960内には違う話題も含まれてますが、
発言番号171内の http://kie.nu/n2p (全体写真)
発言番号180内の http://kie.nu/n2u (機関車番号、「ДВР   Е 899」)
が重要と思われます。

「ДВР」が解らないのですが、
http://bezformata.ru/content/Images/000/012/693/image12693900.jpg
↑は極東共和国「Дадьне-Восточной Республики」の債権らしきもので、これの所属なんでしょうか?
(ただし極東とバイカルとはかなり距離があります)
http://vladivostok.bezformata.ru/listnews/dalnevostochnoj-respubliki/3785806/
↑は関係HP。ロシア語に詳しいわけではないので、全くのアテズッポウです。

「 Е 899」に関して、
2-10-0機関車E系、「ロシアンデカポッド」の綽名でも呼ばれる有名な量産機関車と思われます。
既に他の人が御指摘してますので、その英文ウィキの通りです。
この写真の「899」ですが、
手元のロシア機関車資料では
E系2-10-0の内、
ボールドウィン製、Ел 876~925、50台の内の1台。
注文は1917年7月だが、引き渡しは1919年5月(?)となってます(10月革命後に引き渡したのか?)。

http://ru.wikipedia.org/wiki/%D0%9F%D0%B0%D1%80%D0%BE%D0%B2%D0%BE%D0%B7_%D0%95#.D0.9F.D0.B0.D1.80.D0.BE.D0.B2.D0.BE.D0.B7.D1.8B_.D1.81.D0.B5.D1.80.D0.B8.D0.B9_.D0.95.D1.84.2C_.D0.95.D1.81_.D0.B8_.D0.95.D0.BA
↑はロシア語ウィキですが上から1/3あたりの表に各ロットの表があります。
と言う事で私の意見は沢山の推測も含みますが、ボールドウイン製2-10-0と思います。
ボールドウィン社の製造番号一覧表があれば、確実な証拠になるのでしょうが、持っていません。

もう一つの問題、大宮工場との関わりですが、これは全く解りません。
戦前の官鉄の書物は、
1、上席技師が書く総論(余り無いと思うが例えば、http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/846730の"機関車工学")
2、官鉄の機関士の受験参考書的なもの(かなり多い)
3、各地の機関区などで出した職場報みたいなもの(内容は職場での修養だの、仕事の工夫だの、和歌俳句だの)
があるらしい。
「らしい」と書くのは、1、以外私もほとんど見てないからです。
1、2、はかなりの物が国会図書館などで見れます。
3、は一部の人が収集してるようですが、全く見れません。
大宮工場にこのような社内報的なものがあれば、ロシアへの派遣の記録も載ってる可能性があります。

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2012年9月15日 (土)

中国蒸汽機車世紀集影

Easycapture1
http://www.amazon.co.jp/%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E8%92%B8%E6%B1%BD%E6%A9%9F%E8%BB%8A%E4%B8%96%E7%B4%80%E9%9B%86%E5%BD%B11876-2001-%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E8%AA%9E-%E5%8E%B3-%E4%BB%8B%E7%94%9F/dp/7113041485
支那は世界で最後まで蒸気機関車を使った事で海外蒸気機関車撮影趣味者に有名です。
「前進型」とかの言葉はそれらに興味の無い私でも知ってるほどです。
しかし支那と言っても戦前までの蒸気機関車の情報は限られたものです。
下記の"中国蒸汽機車世紀集影1876-2001"は支那の鉄道開業以来の蒸気機関車を網羅してるのであり、
その意味で画期的なものです。
中国語の本ですが、総て英訳が添えてあるので、不便はありません。
内容は写真中心で、形式ごとに5行程度の説明を添えたもの。最近撮影の分は鮮明なカラー写真。

対象は満州、台湾を含みます。
記述に反日本的な書き方はないです。

図は無い。寸法データは有名形式のみ。
製造年、製造台数も無い。
写真の質は悪く、黒白写真の半分くらいはボケた写真です。日本の岩崎渡辺コレクション並みの鮮明写真はごく一部です。

しかしながら、支那の機関車形式数は膨大であり、その製造国は多数にわたってる事が、日本の比ではありません。
従って現在、支那の機関車史を簡単にしゃべれる人も少ないのではないでしょうか。
この本を基底に据えて、各機関車の詳細やメーカー写真を集めていけば、
やがては、その全貌が見えてくると思われます。
全290ページ。

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2012年8月17日 (金)

電車飛び込み

朝、地下鉄を待っていた。
ホームに進入してきた"佐倉行き"電車先頭が私の手前30mに達した時、人が飛び込んだ。
「飛び込んだ」という事実はすぐに解かった。
毎日のように首都圏の駅ホームでは飛び込みがあり、週に1回か0.5回程度はそのおかげで、
私も乗るべき電車が遅延し、いらついてるからだ。

しかし現場を見るのは初めてだった。
電車の前面に飛びつくようにぶつかった人は、
運転席の前、腰板のあたりで、計四本ある腕と大腿が、90度毎の放射状に広がった。
それは手足を大きく振って元気に歩く姿の側面と同一だった。
ただ腕先とふくらはぎは曲げてるので、結果として頭を省けばハーケンクロイツの形になった。
私に何かの古い米国映画の、満月を背景に自転車を漕いで行くシーンを彷彿させたのは、
地下鉄電車前面がギラギラするステンレス板製だったからと思う。(私は平均の人よりは少しだけ電車に詳しいのだ)

ドスンという音が、感覚的には数秒遅れて私の耳に入り
それによって「飛び込み」は私の錯覚ではなく、本当の事実なんだと納得した。

電車は半日近く動かないだろう。
今日の自分なりに大事な予定は諦めて、歩いて家に戻った。
しかし彼は私の分身のような気もしないではない。
飛び込みで電車が遅れたりすると、いつも腹を立ててる私だが、
目の前で見ると、さすがに当人の冥福を祈ります。

電車の前面には昔の路面電車にあった大型救助網をつけた方がいい気がする。

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2012年7月29日 (日)

Alcoのグレスレー3気筒 6(満鉄ミカニ)

南満州鉄道のミカニ、2-8-2です。アルコ社スケネクタディ工場1924年製。

Img098_2 
本機はアルコのグレスレー機としてはかなり初期のものです。
確か3形式目と思いました。

要目です。
気筒径、   572 mm         
ピストン行程、660mm

動輪径、  1370 mm
先輪径、  840 mm
従輪径、  1120 mm          
動輪軸距離、4826 mm 
軸距離(テンダー省く)、10414 mm
軸距離(テンダー含む)、19082 mm   

運転重量、115.8 t
粘着重量、84.29 t
先輪重量、9.53 t
従輪重量、22.02 t

缶圧、   12.7 kg/c㎡
煙管長さ、5639 mm
飽和伝熱面積、431 ㎡
過熱面積、87.8 ㎡
火床面積、6.25 ㎡

最大幅、3226 mm
最大高さ、4616 mm
最大長さ、22340 mm

坂上茂樹氏による
http://dlisv03.media.osaka-cu.ac.jp/infolib/user_contents/kiyo/111C0000001-62.pdf
C53 型蒸気機関車試論【訂正版】では
p276以下で
ミカニは満州国崩壊後の支那で「1960年代まで使用」と書いてます。また
p278で
中国鉄道出版社"中国蒸汽机車世紀集影"なる書物
の中に125ページにわたってミカニの解説がある、と書いてます。
台数はアルコ製5台、日本製コピー機41台のようです。

満鉄、ソ連、中華民国、中華人民共和国の混乱や内戦を経ているのに、
2気筒より複雑な整備を要する3気筒が1960年代まで長く使われたのは意外な気がします。

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2012年6月24日 (日)

Alcoのグレスレー3気筒 5

Alco社製造のグレスレー式3気筒機関車表の内
0-8-0は3形式確認出来ます。

1、Indiana Harbor Belt 鉄道 0-8-0
Img094
↑、この機関車は既に以前のブログで2008年2月9日に出したものです。

Img095
↑、側面図です。

Img096
↑、各部断面図です。
3気筒とも主動輪は第3動輪。
弁はベーカー式。

外側気筒、597mmφ×813mm
内側気筒、597mmφ×711mm
動輪径、1448mmφ
軸距離、16ft.4in.
火床面積、72.5
蒸発面積、4017
過熱面積、953
缶圧、14kg/㎡

http://www.flickr.com/photos/eddie-chicago-railfan/4324313334/in/photostream/
↑写真

http://cs.trains.com/TRCCS/forums/t/88280.aspx
↑には諸元表があります。
この機関車は
http://www.rr-fallenflags.org/nyc/nyc-uclass.html
↑のNYCの0-8-0入替機関車表では形式U-4a、機関車番号100の例として出てます。
Indiana Harbor Belt 鉄道はNYC鉄道と深い関係があったのだろうと推測してます。
http://www.dhke.com/ihbarchive/ihbsteam.html
↑Indiana Harbor Belt 鉄道の機関車表で、
この中で「0-8-0 Switchers」「U-4a」が確認出来ます。
機関車番号100-102の3両。

2、Alton & Southern 鉄道 0-8-0
http://www.steamlocomotive.com/3cylinder/
↑の「Alton & Southern 0-8-0 12」の表で確認出来ます。
http://hobby1.com/store/content/127/Alton-%26-Southern-12/
↑貴重な外観写真です。
http://www.rr-fallenflags.org/as/as-s12bjb.jpg
↑保存された状態です。弁室前方にグレスレー式独特のテコが見えます。

3、NY&NH 鉄道 0-8-0
この機関車は2012年6月 2日に出した、
Alco社製造のグレスレー式3気筒機関車表の内、
左端の列に出てるものです。
台数10台。
http://www.rr-fallenflags.org/nh/nh-s3612ahv.jpg
↑写真です。

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2012年6月17日 (日)

英国のボイラー掃除

下記は英国機のボイラーの煙管掃除(国鉄名チューブ突き?)と、スケール洗い流しの説明映画です。
http://www.youtube.com/watch?v=ZMfqSMKoiiM&feature=related
動画時間25分

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2012年6月10日 (日)

Alcoのグレスレー3気筒 4

Mx
↑、アルコ製3気筒。メキシコ向け4-6-2。
製造年不明。気筒は3気筒同寸法。

要目です。
気筒径、   508 mm         
ピストン行程、711mm  
動輪径、  1499 mm          
動輪軸距離、 4219 mm     
軸距離、 10522 mm      

缶圧、   14 kg/c㎡
飽和伝熱面積、263 ㎡
過熱面積、70 ㎡
火床面積、4.8 ㎡

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2012年6月 7日 (木)

Alcoのグレスレー3気筒 3

Foto

ニューヘブン鉄道(New York, New Haven & Hartford鉄道)のアルコ製グレスレー3気筒。
この 4-8-2 機関車も6月 2日に挙げた表に載ってません。
機関車番号3550。
全体を示す図は見つかりません。

要目です。
気筒径、   559 mm         
ピストン行程、762mm  
動輪径、  1753 mm          
動輪軸距離、 6024 mm     
軸距離、 12886 mm      

缶圧、   18.55 kg/c㎡
飽和伝熱面積、402 ㎡
過熱面積、163 ㎡
火床面積、6.58 ㎡

本機はボイラーが特殊でMacClellon社製水管火室付きです。
Boiler
↑、ボイラー全体図

Dfbox
↑、火室側面図

Fbox
↑、火室側面写真

Fhole
↑、火室背面写真
要するに缶胴部分は普通の形ですが、
火室は底に中空のマッドリング、上部に蒸気ドラムを置き、
その上下を水管で連絡したもので、有名なブロタン火室と似てますが、
上部のドラムは3本になってます(ブロタン火室は1本)。

ここからは後は表題の"Alcoのグレスレー3気筒"とは関係の無い
ニューヘブンのほぼ同じ大きさの4-8-2、2気筒、機関車番号3500、
MacClellonボイラー付きの話です。
Rle1
↑、下から見たボイラー全体

Rle2
↑、側面略図

Rle3
↑、火室背面写真
3気筒の3550と違って焚口の左右で水管が曲がって穴を形成してます。
この穴はストーカー用と説明されてます。
では3550に穴が無いのは何故だ? となりますが、解りません。

Img089
↑、2気筒、3500型写真。ワルシャート弁でなく、サザン弁のようです。

http://www.rr-fallenflags.org/nh/nh-s3326vaa.jpg
↑は同じくサザン弁らしいのを付けた3326の写真です。MacClellonボイラーかどうかは解りません。
↓はその親ページです。
http://www.rr-fallenflags.org/nh/nh.html

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